物事は善悪ではなく、快不快で判断すると楽になる
こんにちは。
日曜日の朝は、なんだか静かで、
得した感がありますね。
珍しく早起きできたので、macbookを開きながら、
ここぞのドヤ顔をかましました。
これが意識高い系ってことか…フフ
なんかピンとこないなあ、
と思っていたことがありましたが、
わたしにとっては未知の分野
この際自分の判断は問題ではないか
と思って
押し通していたら、
ものすごいモヤモヤ感で、
思考はしっかり働かないし、だるい。
要するに、
「やらなきゃ」「言うこと聞かなきゃ」
ばかりで、
自分自身の「これは嫌だよー」っていう
感覚を無視していたんです。
そうしたら、物事がうまく回らない。
もうその方法に固執しなくていいや、と手放して、自分のホッとすること、ニヤニヤすることをやっていたら、なんだか楽ちん。
私の場合、うまくいかない時は、
だいたい頭ばかりがオーバーヒートしていて、
身体の他の部分が置いてきぼり。
うまく回っている時は、
頭は静かで、身体全体で動いている、
感覚があります。
結局、手段はなんでもいいんです。
望むところが見えていれば、
たどり着く方法は無限にある。
だから、在り方の話。
自分はただ、心地良くあれば良い。
ということがわかって、
すごく楽になりました。
自分の快不快というのが、
ちゃんと羅針盤の役割をしてくれている。
そのことを、今回のことで改めて学んだのでした。
コンディションが整っていない時、
自分では気づいていなかったりする。
いったい何が妨げになっているのか?
うまくエネルギーを回すための律速段階は
どこにあるのか?
それは、自分以外の誰かの一言で、
急に明らかになったりもする。
だから、人に聞くのも、いい。
同時に、自分で自分に問いかけてみて。
「今どう思っている?」
「どうなると嬉しい?」
考えても、答えが出ないなら、聞き続けよう。
繰り返すことで、自分の中で、望むもの、喜びを感じるもの、がわかってくる。
それらの集合体が「わたし」だと思うから。
ベイマックスのiphoneケース。
フォルムとかお顔が可愛すぎて、
見るたびに和む♡
この和む感じが心地よいので、
やっぱりかわいいは正義だと思います。