You can make your own happiness!

旅と美味しいものが大好き。

判断基準は快であるか不快であるか

おはようございます。

 

今朝は寝坊しましたが、間に合いました!

私はこの利便性にお金を払っていて、

得られるものに対して大変な幸せと満足を感じています。

 

と、まだまだの寝ぼけ眼で拙い英訳のような文章を書いています。

 

今日の夢で、何回も何回も同じフレーズを見た気がして、

それをなんとなく、覚えている範囲で反芻している。

 

特に繰り返されていたのは、

 

善悪は存在しない

全ては自分がどう見るかであり、

自分自身の快不快の判断しかない

 

っていうことだったように思う。

 

前も書いたけど、

結局、物事の判断の基準は、

自分にとって、快であるか不快であるかのふたつ。

 

夢の中で私は問答していて、

じゃあ中間はないのか?

日本人が愛するところの曖昧文化、

グレーゾーンは存在しないのか?

って聞いたんだよね。

そうしたら、

好きな食べ物に理由はあるか?

なんとなく嫌いなものに理由はあるのか?

と問われた。

〜であるから、好き(あるいは嫌い)

〜であるから、好きであった方が良い

このように理由を加えている時点で、

それは自分の純度を大変下げているということだ。

自分自身の感じたものを、信頼していないということだ。

 

といわれて、そうだなあと納得した。

〜であるから、の部分というのは、

大抵よそからもたらされた情報だったりする

自分で感じたことでは、ないんだよね。

 

自分の感覚を信じること

そしてそれを、混じり気なしに、伝えていくこと

それがとても、大切なこと

 

そんなことを夢問答で改めて認識したのでした。